2008年3月24日 仏教の本はやはり哲学書・・・②
昨日につづいて『釈尊のさとり』について書きたいと思います。
釈尊はさとりを直感であると書かれていたと言うことでしたが...
二つ目は
直感は受動的だと書かれています。
かの道元禅師説いておられる言葉を引用され
「自己をはこびて万法を修証するを迷いとす。
万法すすみて自己を修証するはさとりなり」
「あっ、そうか」と触発されるのは直感であると
それを「ああであろうか、こうであろうかと自分の思考をもって
考えるのは迷いであると書かれています。」
「あっ、そうか」と直感したことを知性化するとことが悟性の役割と書かれています。
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悟性(禅の用語)
悟性とは英語で Understanding カントの悟性論
イマヌエル・カントの悟性論は『純粋理性批判』で展開される。 |
すべてを受け入れてはじめて理解できるのが「さとり」であると書かれています。
最後に
『釈尊のさとり』について四つ説法(四諦又は四聖諦)を説かれていると書かれています。
苦の聖諦
「生は苦なり、老いは苦なり、病は苦なり、死は苦なり」諸行は無常であり
すべては流れていきそのような世界に身を置く人間の存在もまた無常で
あると、その人間的存在の不安を苦として受けとめる時「人生は苦にみち
ている」と書かれています。
苦集聖諦(苦の生起の聖諦)
苦はいかにして起こるのか「縁起の公式」より「これあるによりてこれあり
これ生ずればこれ生ず」と書かれ苦はいかにおこるかそれは「渇愛」=
「貪り(むさぼり)」すなわち貪りの心があると苦が生じると書かれています
苦滅聖諦(苦の滅尽の聖諦)
苦はいかに滅するのかも「縁起の公式」より「これなければこれなし、
これ滅すればこれ滅す」と書かれ渇愛滅すれば苦もまた滅すると書かれて
います。
順苦滅道聖諦(苦の滅尽に至る道についての聖諦)
苦を滅する為の八つの実践項目
1.正見 正しい見方
2.正思・正語・正業 身・口・意のいとなみを正しくすること
3.正命 正しい生き方
4.正精進・正念・正定 正しい修行のいとなみ
以上のことは生活の全分野に渡っての正しい生き方と書かれています。
正しいとは如であると=如実すなわち〝あるがまま〟であると書かれています。
正しい道を歩こうとすれば中道を歩きなさい。「正は中なり」そして「正は等なり」
ここでは当てはまるがあそこには妥当しないと言うのは正しいとは言えないと
書かれています。
これを読み終わって『釈尊のさとり』はごくあたりまえの事を書かれているように
思いました。が・・・
人はなかなかあたりまえが解らず出来ず
感謝もない諸行無常に流されて生きています。
このあたりまえを人に伝えていくのが一番難しいのではないでしょうか。
釈尊は悟ったことも素晴らしいことですがこの事を弟子達に伝え
民衆にまでひろげたことがもっと素晴らしかったのではないでしょうか。
今の世の中ネットと言う素晴らしい伝達方式があり情報があふれている時代の中で
逆にあたりまえの素晴らしいことをもっと突き詰めていかなければならないのでは
と考えています。(日々是感謝心掌)
事理無礙(じりむげ)
『一即多、多即一』
関連用語
追記
書いてからあれも書こうこれも書こうというのは
悪い癖なんですが・・・
自分自身は如実と言えば格好が良いのですが
あるがままに生きていこうと思っています。
そしてすべてを受け入れて・・・
でも時々煩悩多し人間としてはプッツンするんですね。。。笑い
世の中の不幸・苦は全部背負い込んでいるかのように・・・
その時自分を他人が如く観るようにするんです。
こいつ、今こんな風になっているのに・・・
えっ、ここ、こういう風に変えた方がええんとちゃうの・・・
こんなになっても頑張っているんか・・・
なんて
阿弥陀如来様の世界は五次元だそうです。
事理無礙(じりむげ)
『一即多、多即一
