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KIN-EI 有限会社欣永

2008年3月24日 仏教の本はやはり哲学書・・・②

昨日につづいて『釈尊のさとり』について書きたいと思います。

釈尊はさとりを直感であると書かれていたと言うことでしたが...

二つ目は

直感は受動的だと書かれています。

かの道元禅師説いておられる言葉を引用され

「自己をはこびて万法を修証するを迷いとす。

      万法すすみて自己を修証するはさとりなり」

「あっ、そうか」と触発されるのは直感であると

それを「ああであろうか、こうであろうかと自分の思考をもって

考えるのは迷いであると書かれています。」

「あっ、そうか」と直感したことを知性化するとことが悟性の役割と書かれています。

悟性(禅の用語)

悟性とは英語で Understanding
一般論としては、対象を理解する能力が悟性であり、
その理解をもとに推論を行うのが理性である。

カントの悟性論

イマヌエル・カントの悟性論は『純粋理性批判』で展開される。
悟性は感性と共同して認識を行う人間の認識能力のひとつであり、
概念把握の能力である。詳述すれば、物自体に触発されて直観に
よる表象を行う下級認識能力である感性に対して、悟性は理性
判断力とともに上級認識能力のひとつであるとされる。人間の悟性
には固有の形式があり、すべての可能な人間的認識に際しては
この形式が適応され、悟性による表象が可能になる。この固有の
形式が、純粋悟性概念(カテゴリー)であって、量・質・関係・様態に
それぞれ3つ、合計12の純粋悟性概念が指摘される。カント以前に、
懐疑論は人間の認識の確実性を問うたが、カントにおいては人間が
外界の物を認識する際に発見する因果性は、純粋悟性概念によって
保証されており、人間の認識の諸法則に沿うために確実なものである。
これによってエウクレイデスの幾何学やニュートンの力学は、
確実な認識である事が保証される。
一方、カテゴリーは悟性の対象となるもののみに当てはまる。
すなわち感性的認識の対象とならず、単に思惟のみが可能な
理性概念には当てはまらない。このためカントは従来の哲学が
扱ってきた存在についての命題を否定する。しかし人間理性
には形而上学への素質があり、本来当てはめることが出来ない対象
へも悟性概念を適応しようとする。これは哲学を推進する主要な動機
であり人間の本性として否定する事が出来ないが、しかしあくまでも
悟性の誤用であって、人間は正しい悟性の使用を知らなければ
ならないとされる。               ウイキペディアより参照



すべてを受け入れてはじめて理解できるのが「さとり」であると書かれています。

最後に

『釈尊のさとり』について四つ説法(四諦又は四聖諦)を説かれていると書かれています。

苦の聖諦
 「生は苦なり、老いは苦なり、病は苦なり、死は苦なり」諸行は無常であり
 すべては流れていきそのような世界に身を置く人間の存在もまた無常で
 あると、その人間的存在の不安を苦として受けとめる時「人生は苦にみち
 ている」と書かれています。

苦集聖諦(苦の生起の聖諦)
 苦はいかにして起こるのか「縁起の公式」より「これあるによりてこれあり
 これ生ずればこれ生ず」と書かれ苦はいかにおこるかそれは「渇愛」=
 「貪り(むさぼり)」すなわち貪りの心があると苦が生じると書かれています

苦滅聖諦(苦の滅尽の聖諦)
 苦はいかに滅するのかも「縁起の公式」より「これなければこれなし、
 これ滅すればこれ滅す」と書かれ渇愛滅すれば苦もまた滅すると書かれて
 います。

順苦滅道聖諦(苦の滅尽に至る道についての聖諦)
 苦を滅する為の八つの実践項目
  1.正見     正しい見方
  2.正思・正語・正業     身・口・意のいとなみを正しくすること
  3.正命     正しい生き方
  4.正精進・正念・正定   正しい修行のいとなみ
 以上のことは生活の全分野に渡っての正しい生き方と書かれています。
 正しいとは如であると=如実すなわち〝あるがまま〟であると書かれています。
 正しい道を歩こうとすれば中道を歩きなさい。「正は中なり」そして「正は等なり」
 ここでは当てはまるがあそこには妥当しないと言うのは正しいとは言えないと
 書かれています。

これを読み終わって『釈尊のさとり』はごくあたりまえの事を書かれているように

思いました。が・・・

人はなかなかあたりまえが解らず出来ず

感謝もない諸行無常に流されて生きています。

このあたりまえを人に伝えていくのが一番難しいのではないでしょうか。

釈尊は悟ったことも素晴らしいことですがこの事を弟子達に伝え

民衆にまでひろげたことがもっと素晴らしかったのではないでしょうか。

今の世の中ネットと言う素晴らしい伝達方式があり情報があふれている時代の中で

逆にあたりまえの素晴らしいことをもっと突き詰めていかなければならないのでは

と考えています。(日々是感謝心掌)

 

                      事理無礙(じりむげ)
                            『一即多、多即一』

 

 


関連用語

追記

書いてからあれも書こうこれも書こうというのは

悪い癖なんですが・・・

自分自身は如実と言えば格好が良いのですが

あるがままに生きていこうと思っています。

そしてすべてを受け入れて・・・

でも時々煩悩多し人間としてはプッツンするんですね。。。笑い

世の中の不幸・苦は全部背負い込んでいるかのように・・・

その時自分を他人が如く観るようにするんです。

こいつ、今こんな風になっているのに・・・

えっ、ここ、こういう風に変えた方がええんとちゃうの・・・

こんなになっても頑張っているんか・・・

なんて

阿弥陀如来様の世界は五次元だそうです。

              事理無礙(じりむげ)
                   『一即多、多即一


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